「夢」について
今も昔も大人(自分もいい歳ですが気にしないww)
はよく「夢をもてとか、将来何になりたいんだ?」とか
言いますよね?それってどうなんですかね。
なんかその夢とやらは社会的にステータスのあることとか、
なることが難しいとされているようなものを答えとして欲しているような気がします。
別にその事を否定するわけではないのですが、
なんか夢の押し売りに思えてなりません。
じゃぁ、一般的に肯定なり敬意を持たれる夢とはなんぞやと。
それは、例えば医者になるとか弁護士になるとか社長になるとか。
なんか資本主義的価値観に根ざした一元的な夢といったとこでしょうか。
子供が将来何になりたいかというアンケートで(小中学生くらいの)、
上位にくるものは大抵、高収入なものや名誉のあること(社会的に)
がやはり多いですよね。
実際、子供ってリアリストだなって思います。
なんか世論に敏感っていうか価値観がすごい大人な気がします。
まぁ、その方が大人側の期待や興味をひくことを自ずと感じるのでしょうか?
そのほうが自分たちにとってメリットがあることが多いですしね。
でも、やっぱりなんか残念な気もします。
各言う私ももろに学歴という社会が要請する一つの夢に答えてきたのですが・・・
結局お前は何が言いたいんだと申しますと
「夢をもつ必要はない、もちろん各自夢を持つこともよい。
ただ、夢という言葉は何か脅迫じみた意味あい。
つまり、夢という言葉はあまりにも重過ぎるので別のライトな
言葉に置き換えるべきだ」ということです。
今の酔っ払った僕の頭では適切な言葉は見つからないのですが、
(また飲んでるのか!!ってつっこまない)
ニヒリズムとかではないのですが、やっぱり夢という言葉は
あまりにも現代にそぐわないかと、
イデオロギー
(社会主義とかじゃなく、高度経済成長期の日本を立て直すぞ!!的な感じ)
が崩壊した社会で、そういった夢というものは
ある人にとっては+に働き、ある人にとっては-に働く要素であるでしょう。
しかし最低僕にはプレッシャーでしかないですな。
高度経済成長期の一致団結、団塊の世代の時代ではないのです。
この時代を虚無であると揶揄されてもよいでしょう。
ん?今思いついたが、アイデンティティーくらいの表現がよいような。
多様な価値観を各個人は持っているので、
自分のアイデンティティーをみつけるという程度がよいかと。
それがたまたま社会の要請とぶつかっても、融和してもよいでしょう。
「自分はこうなんだ!!」or「自分はどうしたいかわからない」など、
これらもアイデンティティーでしょう。
結局は自分の好きなように生きればいいんですね。
ただし、その結果を他人に責任転嫁するのはNO!!
なんかグダグダかきましたが、論理が破綻していても
酔っ払いの戯言なので、あしからずm(__)m
ちなみに僕の(あえて)「夢」は「結婚してお父さんになることです。」
チャンチャン♪